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銭湯の歴史日本編 2
鎌倉・室町時代の風呂ふるまい

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 奈良時代に始まった施浴の習慣は、鎌倉時代に入ってもっとも盛んになります。
中でも、建久3年(1192)源頼朝が後白河法皇の追福に鎌倉山で行なった100日間の施浴や.幕府が北条政子の供養に行なった長期間の施浴は特に有名で、『吾妻鏡』にも記されています。

 鎌倉時代は、気象条件からみると、寒い時代であったといえます。暖房設備も乏しかった当時、風呂は寒さを防ぐたいせつな手段てあったわけでしょう。
 室町時代に入っても、幕府や寺院により施浴の習慣は受けつがれます。施浴は「功徳風呂」などと呼ばれ、一定の日にちを定めて庶民にふるまわれました。

 さらに、施浴の習慣は個人にも広まります。将軍足利義政夫人の日野富子は、毎年末に両親追福の風呂をもよおし、縁者たちを招待。その際、風呂や食事をふるまったのは有名です。

 このころから、人を招いて遊ぶことを、「風呂」というようになり、入浴はさまざまな趣向がこらされ、浴後には茶の湯や、酒食がふるまわれました。

 これがいわゆる「風呂ふるまい」で、庶民階級でも富裕な家は、近所の人々に風呂をふるまったり、また、地方でも村内の薬師堂や観音堂に信者が集まり、風呂をわかして入り、浴後は持参の酒・さかなで宴会をする「風呂講」が行なわれました。

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