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 遠隔地への転勤をきっかけに会社員生活にピリオドを打ち、奥様の実家の家業である銭湯を継いだ鴫原(しぎはら)和行さん。銭湯業界の厳しい経営状態を改善しようと銭湯PRキャラクター「お湯の富士」を考案したり、スタンプラリーの実施、高齢者の割引入浴とさまざまなアイデアを考え出し、江戸川区の銭湯を活性化させてきました。その活動が認められ、東京都浴場組合江戸川支部は「平成25年度 地域づくり総務大臣表彰」を受賞。「仕事中毒」と自ら語る鴫原さんパワフルな行動力の源はどこにあるのか、お話を伺いました。

■45歳で脱サラして銭湯業界へ

 私が銭湯の番頭になったのは、2001年の暮れです。当時45歳でした。それまでずっとサラリーマンだったんだけど、遠隔地へ転勤するのが嫌で退職して、妻の実家である第二寿湯を手伝うことにしたんです。12月29日に会社の仕事納めで退職して、次の日から番頭ですよ(笑)。

 それまでにも義父から「風呂屋はいいぞ、もうかるぞ」なんて、ずっとふきこまれてたんだけど、まあ儲かる仕事かそうでないかは見てればわかる(笑)。全然信用してなかったんだけど、悪い商売じゃないなとは思ってたんです。利益追求だけじゃなくて、地域社会の役に立つ。だから、義父の代で銭湯を終わらせるのはもったいないな、と思ってました。

 それで、銭湯で働き始めたんだけど、義父と給料のことは全然決めてなかった。実際にもらってみたらサラリーマン時代よりガクッと少なくなっちゃって。女房もびっくりしてました。生命保険は掛け金が払えないから全部解約した。私の命の値段も下がっちゃった(笑)。

 45歳にして初めて教わることばっかりだったんだけど、義父がすごく真面目で細かい性格の人で、手取り足取り仕事を教えてくれた。機械いじりも好きだったし、銭湯の仕事にはすんなりなじめました。掃除が大変だとか、休みが少ないとか、そういうのは苦にならなかった。会社勤めしてたときだって、年間50日も休んでなかったから(笑)。

 でもね、サラリーマンから銭湯業界に入って驚いたことがいろいろあった。例えば、なんて殿様商売なんだろう、と(笑)。昔、黙っていてもお客さんがたくさん入った時代の感覚を今も引きずってる人が多い。サービス業の意識が薄いなと思いました。

 それと、血縁・地縁関係の濃さ。うちのおばあちゃんは石川県の出身なんだけど、その石川県の実家の近所から東京に来て銭湯をやっている人がたくさんいる。その子どもたちが、それぞれ銭湯の家同士で結婚してたり。銭湯業界は親戚つながりが多いから、下手に人の噂話を言ったりできない(笑)。

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■最初はアイデアを却下された「お湯の富士」

 今は「ふろっとくん」(杉並区)、「ゆげじい」(新宿区)、「ゆ2(ゆーゆ)ほのかちゃん」(葛飾区)など、銭湯のPRキャラはいろいろありますけど、最初に登場したのが江戸川区の「お湯の富士」です。

 元々は、自分の店でお客さんに楽しんでもらおうと季節ごとにオリジナルの暖簾を制作したり、ポスターを店内に貼ったりしてたんです。でも、そのうち単独で企画するんじゃなくて江戸川区の銭湯全体で何か付加価値をつけたPR活動をやったほうが、話題にもなるし効果的なんじゃないかと思うようになった。それにはキャラクターを作って表に出して「なにこれ?」って注目を集めるのがいいんじゃないかな、と。

 それで、江戸川支部(※江戸川区の銭湯の団体)に提案したんですが、「面倒くさい」「大変」とかいわれて、秒殺。却下ですよ(笑)。

 銭湯業界って、何十年もお風呂屋さんやってきた人が幅をきかせていて、なかなか若い人が目新しい意見をいうのが難しい雰囲気があるんです。何か意見をいうと「うるさい」って。みんな一国一城の主で、プライドが高い。でも、私は途中から業界入りしているから、遠慮がなかったんですよ。物怖じしないというか、ストレスを感じないっていうか。バカなんですね(笑)。それで、あきらめないで何度も提案しているうちに、なんとなくキャラクターを作ろうという機運が盛り上がった。

 それで、次にキャラクターのコンセプトをどうするか、頭を悩ませました。当時、大相撲の伊勢ノ海部屋が近所にあって、土佐ノ海関がよく入りに来てくれていたんです。それを番台で見ていて「ああ、お相撲さんはいいキャラクターだな」と思った。それで「“お相撲さん”に、銭湯といえばペンキ絵だから“富士山”、それに売り物の“お湯”を組み合わせて銭湯のPRキャラクターを作ってほしい」とデザイナーに依頼しました。そしたら番頭さんとか、番台のおばあちゃんとか、いろいろアイデアがあがってきた。その中で一番コミカルだったのがお湯の富士の原型。いろいろ詰めて出来上がったのが現在のお湯の富士で、2011年1月にデビューしました。

 最初は携帯の待ち受け画像としてダウンロードしてもらったり、ポスターに登場していたんですが、イベントにも積極的に参加しようと、着ぐるみも制作しました。するとキャラクターの目新しさもあって、区民祭り、江戸川金魚まつり、ヤクルトスワローズ・ファン感謝祭、花の祭典、食の祭典など、さまざまなイベントから引っ張りだこに。イベント会場では、スタンプラリーのラリー帳、チラシ、シールなど配ったりして「銭湯がイベントやってるよー」とアピールした。テレビ番組にもいろいろ出演していて、なぜか河口湖へ修学旅行に行ったことも(笑)。376体のゆるきゃらが集合した「ゆるキャラさみっとin羽生」にも参加して、そのときは「マスコットの最多集合」としてギネス世界記録に認定されました。

 そういえば、2013年6月に富士山が世界文化遺産に登録されたときは、どっと取材が増えました。スポーツ新聞では「富士」つながりということで、横綱の日馬富士とお湯の富士が並んでコメントしたり(笑)。

 お湯の富士をきっかけに、銭湯に興味を持ったり、足を運んでもらう機会は確実に増えているので、PR活動としては大成功だと思います。

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■お湯の富士が盛り上げる、銭湯スタンプラリー

 お湯の富士がデビューした年から江戸川区の銭湯スタンプラリー「ぶらり 湯らり スタンプらり〜」もスタートしました。最初の年は4軒達成でお湯の富士のストラップ。7軒で銭湯応援ソング「let’s go 1010」のCD、35軒でお湯の富士のぬいぐるみが景品だったんです。

 2年目からは40浴場を達成した方を「お湯の富士マイスター」として認定し、大々的に表彰式も行うようになりました。マイスターも年を重ねるごとに増えて、昨年の認定者は118人。複数回達成する人がいるので、延べ人数だと131人にもなりました。中には一人で4回も40軒達成した方もがいるんですよ(笑)。兵庫、大阪、千葉、神奈川からも参加した方がいました。

 お湯の富士マイスターは毎年表彰式を開催しているんだけど、認定者の増加とともに家族、スタッフ、マスコミなどの参加人数も増えて、銭湯では狭くてできなくなっちゃった。だから2回目からは場所を借りました。これ以上増えたら舞台付きの会場じゃないといけなくなる(笑)。(※下の写真は平成25年4月に第二寿湯で実施された「お湯の富士マイスター表彰式」の様子)

 マイスターは単に全軒達成しただけでなく、お風呂の達人だからということで、いろいろ意見を出してもらっています。アンケートの記入を毎回依頼するんですが、ほとんどの方がA4のアンケート用紙にびっしり書き込んでくれるんです。いいことだけでなく、耳の痛いこともたくさん書いてある。そういう意見って、ありがたい。

 一番多いのは「営業時間、定休日を守れ」。ほかにも「挨拶が悪い」「時間内に掃除に入ってくる」とか、いろいろありました。サービス業なら当然のことができていない。だから、黙っていてもお客さんが来てくれた時代は遠い昔の話で、今はユーザー目線で営業しないといけない、ということを江戸川支部の集まりではことあるごとに伝えています。

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■取り組みが評価されて「地域づくり総務大臣賞」を受賞

 お湯の富士は、デビューして以来SNS(Facebook、Twitter)で情報発信もしています。イベント情報だけでなく、朝の挨拶や天気の話題だとか、そんなことを毎日つぶやいてます。語尾が「すぅ〜♪」「ゆすこ〜い」って、お相撲さんっぽいでしょ(笑)。

 それと以前、江戸川支部はホームページがなかったんだけど、時代的にさすがにないとまずいと思って、自分でホームページを立ち上げました。イベント情報を流しているだけの感じなんですけど、今年9月中には新しいホームページを公開予定なのでお楽しみに。

 お湯の富士のPR活動以外の取り組みとしては、毎年敬老の日には「お背中流し隊」という、小中学生によるボランティア活動も行っています。これは、核家族化が進んで異世代間のコミュニケーションが少なくなっているので、交流を深めようという狙いで始めました。子ども達は一生懸命お年寄りの背中を流しますよ。お年寄りのほうが恥ずかしがったりしてね(笑)。毎年400〜500人の生徒が参加するイベントなので、大変ではあるんだけど、参加する人達の喜ぶ顔をみたら来年もやりたいな、っていう気持ちになります。

 ほかにも「東京ニューヨーク(入浴)寄席」といって、定期的に銭湯で講談を開催しています。もう50回以上続いていて、これもお年寄りが外出するきっかけになるし、講談を聞いた後は無料で入浴できるので好評です。お湯の富士がTwitterでつぶやいたら、横浜から参加してくれた方がいたのには驚きました。

 これらの取り組みは、銭湯だけではもちろんできません。ぬいぐるみの製作やマイスター制度を始めたのも江戸川区役所の方の提案だったし、銭湯のイベント情報をマスコミに流してくれたり、小中学校との提携など、行政がいろいろ協力してくれて本当にありがたい。

「お背中流し隊」「東京ニューヨーク寄席」をはじめ、高齢者が割引料金で入浴できる「健康長寿協力湯」などの取り組みは、地域発展の役に立ち、他の地域の参考にもなるということで「平成25年度 地域づくり総務大臣賞」を受賞しました。目に見える形で江戸川支部の取り組みが評価されたのはうれしかったですね。これまで銭湯に協力してくれた区役所の担当者をはじめ、区長さんも喜んでくれました。

 江戸川支部は多彩なイベント、キャラクターを利用しての誘客やPRを行っていますが、これができるのも、行政や組合員の協力あってこそ。だから、とても感謝しています。

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■「病院から歩いて帰った人がいない」難病に倒れる

 そんなふうに自分の店の経営に加えて、江戸川支部の活動にも熱心に取り組んでいたんですが、昨年5月に倒れて3ヵ月ほど入院しました。倒れたときは原因がわからず、近所の病院では受け入れ先がなくて、江戸川から運ばれていったのが御茶ノ水の東京医科歯科大学。救急の先生が原因を「脊髄梗塞」って一発で見抜いてくれて、九死に一生を得ました。脊髄を通っている動脈が詰まってたんです。私を担当してくれた教授も「これまでにこの病気の患者を20人も診ていない」って話すぐらい珍しい病気でした。妻が看護婦さんに聞いたところでは「脊髄梗塞になったら4割寝たきり、4割車椅子、2割死亡。歩いて退院した人はいません」だって。「おいおい、治んないじゃん!」て(笑)。でも、奇跡的になんとか歩けるようになり、退院できました。まあ、今は見た目は元気なんだどけど、パソコンのキーボードに指が跳ね返されたり、全然力が入らなくてね。痛い、熱い、冷たいもわからない。後遺症だらけです。

■倒れても続けたい、銭湯の魅力とは?

 私が病気に倒れたとき、店は3ヵ月休業しました。妻はもう私が銭湯を廃業すると思ったらしいんです。だから再開するっていったらびっくりしてました。私、仕事中毒なんですよ。元気な頃は、酒飲んで仕事するしかなかった。うまいものを食べたい、いい車に乗りたい、いい洋服を着たい。そんなのが原動力で昔は働いたんですよ。でも、今の若い人は違うよね。うちの息子みてても全然欲がない。車はいらない、シェアでいいなんて、わけがわからない(笑)。

 話がずれちゃったけど、病気をしても再開したのはやっぱり銭湯って地域コミュニティの核として必要だと思ったから。「あんたね、この風呂屋に来るのは命がけよ。足が悪くなって、体も悪くなってるのに歩いて来るんだから」って必死でやってきて、銭湯で知り合いと話すのを楽しみにしているお客さんがいる。そんな人達がいるのに、やめられないでしょ(笑)。

 今は100%近く家の風呂が普及している時代。それでもお客さんは家庭風呂にない魅力を銭湯に感じて足を運んでくれる。だから、経営者目線ではなくユーザー目線で見て、必要なサービスは何か、考えて可能なものは取り入れていきたい。ちなみにうちはドリンクが充実していて喜ばれています。「じゃばら」ジュースなんて、珍しい柑橘類だけど、味がいいのでよく売れてますよ。ぜひ試してみてください。

 地域の公衆衛生やコミュニテイ作りに役立っている、そんなプライドを持ってやれるのが、この商売のいいところかな。だって、お風呂入ったらみんな喜ぶんだもん。怒って出てくる人っていないよ(笑)。喜ぶ顔を見たら自分もうれしいからやる気になりますよ。お金を払ってもらって感謝される。いい商売だと思いますよ、お風呂屋さんて。

(写真:望月ロウ 文:タナカユウジ)

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【プロフィール】

鴫原和行さん 45歳で脱サラして第二寿湯で働き始める。江戸川の銭湯PRキャラクターの考案、スタンプラリーの実施、健康長寿協力湯、お背中流し隊など、さまざまなアイデアを実現させ、銭湯の活性化に尽力している。

お湯の富士公式アカウント

Facebook:https://www.facebook.com/oyunofuji

Twitter:https://twitter.com/oyunofuji


【取材地DATA】

今回の取材は鴫原さんが経営する第二寿湯で行われた。清掃が行き届いた昔ながらの銭湯だ。

第二寿湯(江戸川区)

●銭湯お遍路番号:江戸川区 51番

●住所:江戸川区江戸川1-46-12

●TEL:03-3670-6195

●営業時間:16〜23時

●定休日:木曜・金曜

●交通:都営新宿線「瑞江」駅下車、徒歩15分

●ホームページ:–

銭湯マップはこちら

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季節ごとに絵柄が変わる
オリジナル暖簾

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お湯の富士グッズと、味がよいと
評判のじゃばらジュース