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【著者】川越太郎/1968年、新潟に生まれ東京で育つ。武蔵小山温泉 清水湯の3代目。 かつては閑古鳥が鳴き潰れかかっていた清水湯を、都内屈指の人気銭湯へと生まれ変わらせた銭湯業界注目の若手銭湯経営者。海と妻と3人の子供たちを心から愛する男。空手3段。


主な登場人物
・太郎(主人公)…清水湯3代目
・マユミ…太郎の妻
・紅(くれない)…太郎の長女
・太介(だいすけ)…太郎の長男
・リカ…太郎の次女
・オヤジ…太郎の父
・オフクロ…太郎の母
・地主…清水湯に土地を貸している地主
・宝田…清水湯の建て替えを担当する設計士


 地主に3億円を支払った。
 借地人という身分から決別した日から幾日かが過ぎた。

 建築代金は着手金、中間金、そしてすべての建物ができて引き渡しの後、完成金として支払われる。

 すでに相見積もりをとり、その中から新宿に本社のある、Aランクの建設会社である月光建設に決めていた。まだ着工までは1年以上あるが、設計士の宝田が建設現場監督の吉田を連れて、武蔵小山に来てくれた。

 日は傾いてきたが、まだまだ残暑厳しい日盛りの空が広がっていた。現場焼けした男らしい顔に、意志の強そうな目が印象的だった。7つぐらいは俺よりも年上だろう。

 建物の建築には、この現場監督との信頼関係が非常に大切になってくる。現場監督が出来る奴か出来ない奴かで、工事の進捗状況、各工事の調整、細かいところの仕上げまでガラッと変わってくる。誠意のない奴だと、ゴミをそのまま埋めることも現場では簡単に出来るからだ。

 俺は誠実な態度で話しかけた。

「今まで、借地銭湯として窮屈な生き方をしてきました。10年以上もの話し合いのなかで、やっと土地を買うことが出来たんです。そして、沢山の方に助けてもらいながらここまで来ました。僕は銭湯で恩返しをしたい。最高の銭湯を作ってください」

 吉田は言った。
「川越さん、一生懸命やらせてもらいます」
 大学で運動部だった吉田は、さっぱりとした性格だ。姿勢がよく、話もよく聞く。そして物怖じすることなく、誰に対しても自分の意見を言う。そして、無駄に昵懇にはならない。そんな飾らない気の良さが、立ち振る舞いに表れていた。

 俺はそんな実直そうな吉田を一目見て、「ああ、この人いいな」と思った。この後、着工から約1年半ほどは濃い付き合いになるだろう。多分喧嘩もしそうな気がする。俺も最高の銭湯を作りたい、そして現場監督の吉田も同じ思いで一生懸命になるだろう。真剣な者同士が火花を散らさないわけがない。

 でも、同じ目標に向かって散らす火花なら心地がよさそうだ。別れ際に少し強めに握手をした。それも両手で強めにだ。

 吉田はハッとした顔をして俺の顔をみた。何かが通じたようだった。
別れ際に何か思い出したように言った。
「川越さん、最高の銭湯作りましょうよ!」
 俺は顔をくしゃっとさせて笑った。

 人との出会いは、きっと自分次第なのだろう。自分の心の力と方向性が、その人の心の力と方向性に感応するのかもしれない。きっと俺の心に秘めた熱い想いを、吉田はさっと読み取ってくれたのだと思った。

 日が陰りだした午後の終わりかけの夏空の下、今もうっすらと白い煙を吐き続けている銭湯に帰る道のり、どこまでもいい銭湯を作るんだと決意を新たにしていた。

 その後、日本政策金融公庫や区、都などの諸々の手続きに、思いのほか時間がかかった。銭湯は地域の公衆衛生とも密接に関わっている。そもそも東京都知事の許可がないと銭湯はできない。もとより行政とも関わりがあるので、勝手に壊して勝手に作り替えるということは出来ない。木造の銭湯は当然、新しくなると鉄筋コンクリートになる。現在の都市計画の防火促進のため、木造建築の銭湯を認めていない。また新たに天然温泉を掘るということもあり、都庁にも何度も足を運んだ。

 工程は大きく分けてこのような流れになる。
 解体工事。
 温泉掘削工事。
 建物建築工事。
 約1年半の工事期間となる予定だ。

 日々、月は満ち、そして欠けていった。月は29、5日周期でそれをくり返していると言われている。清水湯はその月の運行リズムと同じように、何も変わらない姿をとどめている。そして、その煙突からは日々、白い煙が青空に、そして夜空に舞っていた。裏の駐車場の芒(すすき)も北まじりの風に揺れる季節になっていた。

 今日も煙突からは夕日に照らされて白い煙がたなびいていた。
「パパ〜。これなんて書いてあるの?」
 清水湯の正面玄関の脇にある、自販機で売っている三ツ矢サイダーを買いに来た時だった。その清水湯の入り口の脇の貼り紙を見て、紅が指をさして聞いてきた。手書きで書いたA3のコピー用紙にはこんな文言が載っていた。

———お知らせ。大正13年から武蔵小山の地で長年銭湯を続けてきました。そして地域の皆さまに愛していただきながら銭湯を続けることができました。ご存知の通り清水湯は老朽化が激しく、清水湯の第1幕を閉じることにいたしました。清水湯は生まれ変わります。今年の年末に新しく建て替えるために約1年半ほど休業いたしますが、さらに皆様に喜んでいただき更に愛される銭湯となって戻ってまいりますので何卒宜しくおねがい申し上げます。店主より———

 数日前から俺が手書きで貼りつけていたものだった。唐破風の屋根の桟の下の自販機の横の煤けた壁に、真っ白い用紙が一際、目立って見えた。

 紅を抱きかかえながら、頬をよせるように優しく語った。
「くーちゃんのお家、天井から雨がぽたぽたそこら中から落ちてくるよね」
「うん、お家の中も雨がふってる」

 俺は笑いながら
「そう、だからそろそろお家を新しくしなくちゃいけないの」
「お家こわしちゃうの?」

 紅が少し悲しそうな顔をして聞いてきた。
「うん、そうだね。くーちゃん、この家好き?」
 俺が聞くと
「くーたんのお家だもん。お風呂なくしちゃやだ!」

 子供は子供でこの朽ちかけた家に、そして銭湯に愛着があったのだ。
「でも、くーちゃん、お家、新しくしたらくーちゃんのお部屋も出来るし、お友達も呼べるし、地震にも強くなるよ」
 紅は少し考えて、
「ならいい!」

 子供は案外調子がいいものなのだ。
「そっかー、くーたんえらいね! あとでお風呂はいろうね」
「うん! くーたん、パパのお風呂大好き!」

 銭湯の釜場から浴場に出入りできる引き戸には、保安用の小窓がついている。通常、銭湯用語で「のぞき窓」という。

 空いているか込んでいるか、お客様の混雑状況をその小窓からのぞいて、浴場関係者が入浴のタイミングを計るのだ。なぜなら銭湯の他に風呂が無いからだ。
「よし、くーたん! ほれ太介! いまだ、お風呂入ろう!」

「わー! お風呂お風呂!」
 紅がすでにシャワーキャップを頭にしながら楽しそうにはしゃいでいる。 紅はお姉さんらしく、2歳になった弟の太介の手をつないで、足元がすべらないようにしてあげている。かけ湯をしてうめ湯をしながら、熱い湯舟にゆっくりと入った。

「おー、太郎くんもお父さんらしくなったね」
 常連のお客さんで、武蔵小山商店街の平塚橋の近くで古道具屋をしている松屋のおじさんが、頭にタオルを巻いてやって来た。俺たちよりも先に風呂に入って体を洗っていたらしい。

「おじさん、こんばんは」
 紅と太介は熱いお風呂に我慢している。おじさんは磊落(らいらく)に笑いながら言った。
「中学の時は本当にどうしようもなかったけど、こんな優しいおとうさんになって……」
 地元で有名な不良だったころからよく飯を奢ってくれたのが、昔から仲の良いこのおじさんだった。
「ちょっと子供の前で変なこと言わないでよ」
 俺も笑いながら返した。

 貼り紙を見たのか、
「清水湯も新しくなるんだ。地元の人間はみんな喜んでいるぞ、太郎くん」
 湯舟に入りながら、酒やけしているのか、湯あたりしているのかわからないくらい血色のいい顔を向けて言った。
 そして湯船から出ながら、
「頑張ってな、応援してるよ。また飯食いに行こうな」
 体から湯気を漂わせながら、脱衣場に汗を切りながら出ていった。

 子供たちはすでにお風呂から出て、カランの前で石鹸で泡を作って遊んでいた。

 湯舟からはゆらゆらと気持ち良さげに湯気が揺らめいていた。琥珀色の湯舟に顔半分を沈めて、水色のペンキを塗った銭湯の高い天井を見上げると、湯舟から立ち昇る湯気が天井近くで平たく横たわる一筋の雲のように浮かんでいた。

 平成18年(西暦2006年)11月5日の深夜零時。透き通った夜空には上弦の月が、眩い星々とともに輝いていた。
 大正13年に創業した清水湯は、生まれ変わる為に一旦幕を閉じることになる。翌日からは早速、取り壊すことになっていたが、最後の営業が終わってから隅々まで磨き上げた。そして米を盛り、御酒を捧げた。今まで俺たち家族三世代を守り育んでくれた銭湯、清水湯にささやかな感謝の気持ちを込めて。

 清水湯がいよいよ建設の槌音を響かそうとしていたこの時、ある温浴施設が渋谷で開業していた。


(「俺の銭湯」は、毎月第1金曜日と第3金曜日に更新します)