2016/09/16

俺の銭湯

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【著者】川越太郎/1968年、新潟に生まれ東京で育つ。武蔵小山温泉 清水湯の3代目。 かつては閑古鳥が鳴き潰れかかっていた清水湯を、都内屈指の人気銭湯へと生まれ変わらせた銭湯業界注目の若手銭湯経営者。海と妻と3人の子供たちを心から愛する男。空手3段。


主な登場人物
・太郎(主人公)…清水湯3代目
・マユミ…太郎の妻
・紅(くれない)…太郎の長女
・太介(だいすけ)…太郎の長男
・リカ…太郎の次女
・オヤジ…太郎の父
・オフクロ…太郎の母
・宝田…清水湯の建て替えを担当する設計士
・山師…温泉掘削業者


「ああ、大黒柱が倒されていくよ……」
 隣りの焼肉和田さんのビルの屋上にのぼって清水湯の解体工事を見つめていた。マユミが目を潤ませながら言った。
「なんだか悲しいね……」
 古くてところどころ傾いていて、雨漏りが激しくて、隙間風もひどかった。でも、釜場の温もりが天井を通り抜けて2階の居間を温めてくれた。どこまでも温かな家だった。

 だが、すべてが耐用年数を超えていた。これ以上は無理だった。柱や梁をひき剥がすたびに、大地が揺れるような振動を感じた。

 紅は幼稚園に行っている。俺とマユミは、太介とリカを抱きかかえながらしばらく屋上に佇んでいた。

「いままでありがとう」
 俺は小さな声で清水湯に別れを告げた。

「さぁ、行こう。最高の銭湯を作ろう」
「そうね。あなた頼むわね」
 3人で仮の住居に戻っていった。

 清水湯の解体工事は思いのほか早く、1週間ほどで完了した。木造建築ということと、空間の多い建物だったことがその理由のようだ。

 解体業者から真顔で一つだけ言われた。
「旦那さん、大黒柱が根元で腐ってましたよ」
「そうなんですか」
「大きな地震が来なくてよかったですね」
と意味ありげに言われた。

 煙突も途中で折れていたし、こんな古い銭湯、どこが折れていても不思議ではなかったが、その3年後に起こる東日本大震災が未曾有の被害を銭湯業界にもたらすとは、この時は露ほどにも思わなかった。

 真っ新(まっさら)な広大な敷地が現れた。約200坪の更地である。

 銭湯以外の一般住宅用の土地でも、ここまででかい土地は都内でも珍しいだろう。また四方路線(4面が道路の土地)だから一層広々と見えた。
「ここに新しい銭湯を作るんだ」
 そう思うと心が弾んだ。

 清水湯の南側は不思議と高い建物が無い。日当たりもいい。武蔵小山という商店の多い街でもある。これから更に栄えていくことは間違いないだろう。よくぞ、この土地を我ながら「ひっくり返せた」ものだと思った。

 しばらくすると高さ30メートルほどの櫓(やぐら)が立った。温泉の櫓だ。

 都内初、いや全国でも銭湯業界初の大深度温泉の温泉櫓(やぐら)だった。地鎮祭は日ごろから相談ごとをしている、星薬科大学の近くの吉仲ベーカリーのご主人に頼んだ。

 神主を頼むと高額なので、先輩に頼んだ形だ。工期は1月の正月明けから3月末の約3ヵ月。
 東京の地盤は関東ローム層の下が立川ローム層、下末広ローム層、武蔵野砂礫(されき)層、東京層、そしてその下が上総層群(かずさそうぐん)。大深度温泉の湯脈は、この上総層群の中にある。目標深度は1500メートル。途方もない深さだ。東京タワーが333メートルだから、5倍弱。途中で恐竜の化石でも削ってしまうのではないだろうか。
 大深度温泉の由来は化石海水と言われている。太古の海水が地中に閉じ込められて、そのまま地中の滋養がとけ込んだ温泉だそうだ。
 温泉が出ることは確実だったが、はたして量が出るのか、質のいい温泉が出るのか、それは時の運だった。

 俺は運に賭けた。

 温泉の掘削業者の山師とは毎日のように顔を合わせた。過酷で危険と隣り合わせの作業は、山師率いる温泉掘削のプロ集団だ。都会に馴染まない風貌がどこか頼もしく見えた。
「山師さん、昨日の晩、掘削モーターがものすごい音を立ててたから、ブレーカー落としといたよ」
 俺が笑いながら言うと、
「ええっ! すみません! 消し忘れちゃったかなぁ」
 山師は屈託なく破顔した。本来は大クレームものだが、細かいことは一切言わなかった。なにか大きな目標に向かって走り出しているのだ。どこまでも信頼する。それも俺の仕事だった。そのかわり毎日のように顔を出して、掘削の進捗状況を見守った。

 一年中どこかの山の中、日本のみならず世界中を掘りまくっている温泉掘削のプロ達は、どこか超人的だった。
「今日は隣の焼肉和田さんを予約しておきましたから、仕事が終わったらみんなで食べに行ってください」
 山師は喜んで言った。
「ありがとうございます! お言葉に甘えて行ってきます」
 その夜は掘削業者の仲間5人ほどで和田に行ったらしい。翌日清算しに和田に行くと、女将さんから「あの人たちは化け物だったわよ」と目を丸くして言ってきた。どうやら飲むは喰うはで、ひたすら肉だけを食べ、飲んだらしい。ちょっと焦ったが、30人前は食べたとのこと。それでも短い期間に人間関係を築くためには必要な出費だと諦めた。

 工事は順調に進んだ。いよいよ1500メートルの深度に達した。櫓(やぐら)を解体する前に、試験的に温泉の汲み上げをした。

 問題が発生した。何度汲み上げても、既定の汲み上げ量に達しなかった。
「川越さん、想定しているよりも温泉の量が少ないのです。本来の僕たちの契約は、目標深度に達していれば、温泉の量が出ようが出まいが、関係なく引き渡しをする契約になっているんです」

 俺は背中にぞくっとする感覚に襲われそうになった。1億もかけて出てきた温泉がスズメの涙。
「俺の運もここまでなのか」
と顔がこわばりかけた時。

 山師が言った。

「川越さん、もう一度掘削ドリルをセットします。実は裏ワザじゃないんですが、僕ならできる温泉剛管を切り裂く技術があるんです。ただ道具がない。川越さんの知り合いで鉄工所やっている方いませんか?」

 温泉を掘削し、ここが湯脈と見当をつけて、ストレーナーの剛管を温泉孔に差し入れる。その位置がずれていると地中の温泉の湯脈を吸い上げることができない。どうやらそのストレーナーの位置が悪かったようだ。

 俺は瞬時に頭をめぐらせた。地元、武蔵小山は、実は職人の町でもある。町工場が昔から沢山ある。

 友人の中にも町工場を家族で経営する者がいる。その中に俺と同じくらい海が好きな恵介がいた。すぐさま電話した。

「恵介、厚さが1センチぐらいで長さが10センチぐらいの鉄のかたまりないか?」
「あるよ。太郎、どうしたの?」
 気持ちよく応じてくれる。
「今、温泉掘ってるじゃん。ちょっとそれで使いたいんだけど、それ幾ら?」
「いいよ。取りに来たらあげるよ」

 そう、気のいい奴なのだ。恵介は油まみれで俺を待っていてくれた。自転車で5分くらいのところだ。中学時代の友人だが、こんな危機を恵介に助けてもらえるとは思ってもみなかった。
 山師も一緒に来ていたが、鉄じゃなくてステンレスのいい奴が手に入ったと言って喜んでいた。グラインダーで加工して使うらしい。

「川越さん、これでもう一度、3回に分けて切り裂いてストレーナーのようにします。おそらく100か所ぐらい切り裂く予定です。友人の恵介さんからもらったこれを使って」

 帰りがけ恵介にひと言いった。
「悪いね。ありがとう」
「別に大したことじゃないよ。こんなんでよければまだあるから、何かあったら言ってよ」

 山師は帰りがけに話しかけてきた。
「川越さんのまわりには何でも揃ってますね。美味しい焼肉屋さんもいい友達も」

 その後、温泉は目標の量が出た。

 苦労して出した温泉は早速、「中央温泉研究所」に提出して成分を調べてもらった。療養泉の認定をもらうほどいい泉質だった。
「地涌の泉、不老の山」と正式に名づけた。黄金の湯と呼ぶのは少し後になる。

 その頃には桜の咲く季節になっていた。かむろ坂の桜が目に鮮やかだった。全てが順調に進んでいた。土地もひっくり返した。温泉も黒湯と「黄金の湯」の2種類。そんな銭湯はどこにもなかった。

 いよいよ銭湯の建築がはじまる。毎週月曜日には、建築会議を目の前のスナック・チッチの隣の空店舗を借り上げた事務所で行った。
 設計事務所、月光建設、釜屋の鉄工所、設備屋、タイル屋などが顔を揃えている。これから約一年かけて作り上げていくのだ。

 ここでも地鎮祭を行った。温泉掘削時に一度、銭湯の建築時にもう一度。この時は中学の時の悪友の伸の兄貴にお願いした。俺は昔から神主とかお坊さんとか権威的なものが苦手なようだ。当然地主も苦手だった。

 四隅にお神酒を捧げ、何やらお経のようなものを唱えていた。昔、リーゼントで直管の単車にまたがり、近隣の人々に大迷惑をかけていた伸の兄貴はいつからこんな真面目になったのだろう。武蔵小山の住民は不思議で満たされている。


(「俺の銭湯」は、毎月第1金曜日と第3金曜日に更新します)